「一生懸命に作ったものは、一生懸命見てもらえる。」

「一生懸命に作ったものは、一生懸命見てもらえる。」ー黒澤明

「一生懸命だと知恵が出る、中途半端だと愚痴が出る、いい加減だと言い訳が出る。」ー武田信玄

 

この言葉を頭、心、身体で理解出来たのはごく最近である。

二年前、幸運な事にマイケル・マン監督の指揮の下Bカメラオペレーターとして仕事をする事が出来た。

監督の要望は厳しく、繊細で、且つ忍耐を要するものばかりで甘えという態度は全く許されない撮影現場であった。

 

少しでも自分の言い訳の影が見えるようなオペレートはすぐさま見抜かれ叱咤された。

仕事は楽しくするも真面目に一生懸命してきたつもりの自分であったがマイケル・マンとの仕事でそれまでの一生懸命が一生懸命でなかった事を思い知らされた。

彼の撮影現場では監督が画角を細かく決めるのが殆どだが、それでも時に一台のカメラに集中するあまりBカメラの存在がおざなりになる時がある。こんな時がオペレーターとしての腕の見せ所でもあるのだが、一生懸命探って見つけ出したショットを見せても厳しい表情を返されるばかりであった。何故ならそれらはまだまだ改善の余地があり本当に知恵を振り絞って探し出したショットではなかったからである。

 

そんな中、それまでの自分では無理と決め付けていた苦しい体勢からのショット、難しいと諦めようとしていたショットを半ばヤケクソで撮るようにもなった。結果それらのショットは作品の一部として使われ、逆に小細工した悪知恵のショットは全く使われていなかった。ヤケクソと一生懸命は違うものではあるが、、、、

思えば隣でAカメラをオペレートしていたロベルトは本当に一生懸命であった。ロベルトのマイケルに対する尊敬の念は知っていたが彼は本当にその念を体現していた。腕の筋肉が痙攣するほどカメラを持ち続け、何度も何度も繰り返されるアクションを辛抱強く撮り続けていた。

そんな彼らの姿を見て生きている絵を撮るという事はこういう事なのだと実感した。勝手に自分の中で無理とか難しいって決め付けることの愚かさを痛感した。

 

「一生懸命」正に言うは易く行うは難しである。

 

ロベルトが撮影中飲みに行った時言った一言を今でも覚えている。

『この監督の撮影、一度好きになったら病み付きになるよ。』、本当にそう。あの時の緊張感が今でも忘れられない。